撮影で北海道のとある地域を
訪れたときのお話。

気になる方がいて
撮影終わりに訪れた。

どんな方かというと
野生動物の角や爪などを用いて
新たな作品として生命を宿す方
とでも紹介させていただこうと思う。

お店を訪れ簡単な言葉を交わし
「撮影で山野を歩くことがある。
何かお守りとなるものが欲しい」と伝えた。

帰ってきた言葉は
「ヒグマの爪はどうだい?」
とだった。

私自身
ヒグマの爪をお守りとしたかったので
なんだか通じ合えた気がした。

すでに作品になっているものを眺めていると
「まだ形になっていないもの(作品としていない)があるから
見てみるかい?」と。

「お願いします」と
すぐに伝えた。

少しすると
奥から何点ものヒグマの爪を見せてくれた。

これは自然に亡くなったであろう
ヒグマで。
これはね・・・。
そんな調子で話してくれていた。
その中でも一番立派だった爪はコレだった。

「この爪は?」と聞くと
「あぁこれは畑についてしまってね。人間との生活に近づき過ぎてしまって
撃たれてしまったものなんだよ」と教えてくれた。

畑についた。
この表現を聞いてもわからない方はいるだろう。
”つく”というのは”居つく”ということ。

その畑は
デントコーンと言って
家畜の飼料にもなる栄養価の高い
農作物だ。

山に入れば
山野草が豊富かもしれないが
不作の年もある。
ましてや
目の前に栄養価の高い餌がある。

その場を離れることはないだろう。
しかし
長居してしまうと
農家の人も気づく。

そして被害が拡大すると
さらなる畑や
農作業中に出くわしてしまう恐れも格段に増える。

そうなれば
ヒグマと人間との距離が
近すぎる
という判断になってしまうのだ。

そういう判断をされたヒグマはどうなるか?

なんの罪もないが
生命を絶たれる。
森へ帰るように促されたりするが
居着いた個体は
すぐに戻って来るそうだ。

この個体もそうだったみたいだ。

ましてや
スイートコーン(人が好んで食べるもの)の畑にも
出てしまったようだ。

生命を絶たれ
ここにやって来た。

そんな話を聞いた私は
「この爪をお守りにしたい」と懇願し
ネックレスを仕立ててもらった。

どうしてヒグマの爪?
と思う方もいるだろう。

・人間と出会わなければまだまだ生きることができた
・昔は山林で人間の生活のために切り開かれた土地

人間も生きていかなくてはならない。
必要以上に山林の木々を切り倒し
開発をしているとは思いたくない。

だとしても
人間の生活を豊かにするため
犠牲になってしまったとも言えると思った。

この爪を持つ大きな足で
北海道の大地を
歩き生命を繋ぐはずだった。

瞬時にそう思ってしまった。

完全なる自己満だと言われても良い。

その話を聞いた私は
そういったエピソードや
ヒグマと人間との共存を考える上で
「これからの自然環境を考える、そして、
一緒に北海道の大地を歩いて行こう」
そんな思いでこの爪を手にしている。

基本
肌身離さず生活を共にしている。

私のフォトライフ
いや私の価値観に大きな影響を与えてくれた。

これからも
共に歩もう。
そして
素敵な世界を
共に見て行こう。

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One response

  1. 堺の風車 より:

    私も北海道2回目の時に 
    小さいですがキーホルダーを買い求めました。
    街中に居着いたヒグマはかわいそうだけど
    この冬、街中を歩き回る丹頂鶴など
    自然が豊富、町と自然の境目が分かり辛い北海道ならではなのでしょうか?
    冬の北海道から帰ってきた大阪府堺市の住民です

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