偶然の出会いかもしれないが、そのヒグマの思考は人間が育てたのかもしれない。

偶然の出会いかもしれないが、そのヒグマの思考は人間が育てたのかもしれない。

途絶えた生命で終わらせてはいけない vol.2では、「人間の手で育てた農作物の”美味しさ”と”手軽さ”を知ってしまったのだ
」というタイトルのもとで、自然界と人間界の食べ物の差、なぜそれを野生動物が求めるのか?ということを綴っています。

vol,2の最後では、こんなことに触れました。
”ヒグマの思考は人間が育てたのかもしれない”ということ。
途絶えた生命で終わらせてはいけないvol.3「偶然の出会いかもしれないが、そのヒグマの思考は人間が育てたのかもしれない。」では、実体験やハンターとしてヒグマに向き合う方たちの声をもとに綴ります。

ヒグマは感じ取る。人間よりも数段優れた感覚の持ち主だ

ヒグマのことを正しく知らないと「何を注意したら良いのか?」ということも分からない。
これまでもヒグマの特徴を書いて伝えてきましたがその多くは「ヒグマの性格的な特徴」でした。
次は、ヒグマの体についてです。
ヒグマは主に夜行性と言われていますが、既にご存知の通り、夜しか活動しないのではなく、”夜に活発に動く”ということであり、日中も動きます。
夜行性の生き物って「真っ暗な中、動き回れるのすごい!」と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか?
人間でいうところの「視力(ものを正確に見る力)」に関しては、良くないとされています。
ですが、夜も行動するので夜の暗がりの中でもものを見分けたりすることの出来る夜目が効くともされています。

視力が良くないならどうやって厳しい自然を生き抜いているのか?
それは優れた「嗅覚」と「聴覚」を持っているからと言われています。

嗅覚で言うと、数キロ先の匂いを感知できたり、地面に埋まっているものの匂いも嗅ぎつけることができるとも言われるほど、嗅覚が優れています。
また、聴覚も同様に発達しているともされています。そんなこともあり「登山をする際は熊鈴の携行を」と言われるのです。
どうして、こういった器官が発達したのかは、我々にはわかることもなく、神のみぞ知る境地でしょう。
ですが推測することはできます。

ヒグマは体が大きく、生きていく上で栄養の確保が不可欠。
子グマや自分に身の危険を感じたとき対処することができるように。
ヒグマ同士の争いは、時に生命だって落としかねないほどの激しさもある。

血の匂いや獣の腐敗臭、木のみの甘い香りを嗅ぎつけるための嗅覚。
そして、ライバルとなるヒグマの気配や餌となる生き物の動く音を察知するための聴覚。

厳しい自然の中で生きるため、種として手に入れた能力なのでしょう。
ヒグマは人間よりもはるかに大きな体を持つ生き物。
なんぼ自然豊かな北海道だとしても、そんな大きな体の生き物が生命を繋いで来れたのは、優れた器官を有するだけではないのだ。

title野生動物界きっての頭脳の持ち主。学びが慣れを生んでしまう。

野生動物は本能で生きています。
ですが感覚的に生きているわけではなく、経験から学習し、その学習をヒグマ自身が持つ能力を乗せて行動しているわけです。

今回、札幌市南区(藤野、簾舞)に出たヒグマからも学習からの行動と感じたことありませんでしたか?

当初、森と人家の狭間に現れたときのことです。
すぐに人家に寄ってくるわけでなく、様子を見るにとどまっていました。
人間でもヒグマを確認できる距離となれば、数百mが良いところかなと。実際はもっと近かったというお話もありますが。
「森から人家を見ていただけ」
本当にそうでしょうか?
「ヒグマは感じ取る。人間よりも数段優れた感覚の持ち主だ」の部分でも書いていますが、優れた嗅覚の持ち主です。
この時点で、今回出没したエリアでの嗅覚で得られる情報はほぼ網羅していたのでしょう。
その情報というのは「餌」の情報です。
そしてもう一つ、大きなことを学んでいるのです。
それは「ヒグマに危害を及ぼす可能性のあるものがない」ということ。

むしろヒグマからするともりより人家に近い方が生活しやすいのかもしれません。
それはなぜか?人家よりも森の方が威嚇射撃などヒグマの脅威になる機会が多いからです。
ヒグマが森から人里に出てくると「可哀想」「人間がヒグマの生活場所を奪った」などの意見も出ますが、もしかするとヒグマは、「人間に近い方が安心」と思っているかもしれませんよね?
家の前を歩いていても威嚇されるわけでもなく。むしろ「人間いるな〜。だけど何もしてこないぞ?それよりなんか囲って森に誘導されるな〜。SPか?」って思っていたらどうします?

基本的にヒグマは人間を恐れる生き物です。
あくまでも”基本的には”の話です。
何度も何度もヒグマの前に人間が現れるも何もしてこない。
「嫌なことをされるかな?」と思い慎重にしていたヒグマも、何もされない無害の相手かと思えば、自由奔放になります。
つまり大胆な行動を取るということです。

理想論で言えば、ヒグマが人里にあわられたすぐの段階で「人間は怖い生き物だ」という認識を植え付けなければならないのです。

「それなら最初から威嚇射撃をすれば良い」とも思うかもしれませんが、法律によってできないんですよ。

ウェンカムイを生まないために

アイヌの方々はヒグマをキムンカムイ、山の神として位置付けていました。
神であるため、無駄な殺生などもしてこなかったと聞いたことがあります。
キムンカムイとアイヌの方々の関係は、しっかりしていたそうです。
今のように開拓も進んでいない北海道でのお話なので、もっと野生動物の生活と人間の生活が密着していました。
その分、人間の生活圏にキムンカムイが姿を見せることも多かった。その都度、「森へ帰れ」と威嚇したそうです。
それはなぜか?
「悪い神ウェンカムイを生まないため」
ウェンカムイとは、人間や人間が飼育する家畜・育てている畑に手をかけてしまったキムンカムイのことを指す言葉。
ウェンカムイは、当時から駆除の対象になっていた。更なる被害、人間の死に直結するからである。

アイヌの方々も望んでいることではないだろう。
ウェンカムイ なんて生み出しくないそう思っていたはずだ。
だからこそ追い払いにも真剣に向き合っていた。

果たして現代はどうだろうか?
「畑だから仕方ない」「まだ乱暴なことをしていない」などの理由で追い払いを躊躇するケースも多々ある。
それは人間の慣れなのかもしれない。だけど、慣れるのは人間だけではない。
「慣れに厳しかったのがアイヌの方々とキムンカムイとの関係性。その慣れに寛容になってしまったのが現代」
先人たちが今の関わりを見たら何と言うか。

こんなことからも分かるように、ヒグマは、恐れていた人間に対し少しずつ恐怖心が薄らいでいったのだろう。

次は「境界線を越えて見えてきた世界とは」というテーマで綴ります。
人間を恐れていたヒグマ。しかし人間に対し恐怖心がなくなってしまったなら?

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投稿日: 2019年8月16日makoto_kobayashi

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